気味が悪い、君

不気味な人の日記です。

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終わり

自分の人生を総括しようと思ったが上手く言葉が出てこない。
上手く表現出来ないし、何よりも俺自身がよく解かっていないのだと思う。
それでも最後に書いておこうと思う。


ずっと苦しかったのは確かでそれが根底。でもその上に少し嬉しい事があったり感動したり、心が動く様な事があったのも確か。そして、それが焼け石に水でその苦しさが少しも消えなかった事も確か。

でも、この嬉しさや感動が何か温かいもので、それこそが正しいものだと信じていた。苦しさは必要だけど、苦しさだけじゃダメだって感じてた。
その為には人と関わって人を好きになって、その中で生きていく必要があって、そういう能力が必要なんだって思ってた。
何をやっても埋められない心の空虚さの原因はそれなんだと。
だから何とかそうしようともがいて足掻いていた。

でも、俺には出来なかった。
それは俺を苦しめてきたものこそが人だから。
全ての人が俺を苦しめた訳じゃない。俺を苦しめた人達が常に俺を苦しめていた訳じゃない。中には助けてくれた事だってあったし、そういう人もいた。
それでも、何をしても何をしてもらってもすぐにかき消されてすぐに苦しみに支配される。
人を好きになっても、何かの一つの言葉、仕草で一瞬で嫌いになる。
憎しみや恨みだけが増幅されていく。

それは誰のせいでもなく、自分のせいなのだと気付いた。俺に問題がある。
俺の受け取り方、感じ方が苦しみを作り出しているだけなんだと気付いた。
だから何とか自分を変えようとした。人を好きに感じられるように、温かいものを温かいと感じられるように、俺の感じ方を変えようとした。自ら人と関わって人を知って人の中で生きようとした。
でも、その先に感じたのは、「変わった」という事ではなく、「俺は一体誰なんだ」という思い。
俺の根底は変わらず、人が嫌いなまま、もう一つの自分が表面的に人と関わっている、そんな感じになってしまっていた。
だから一人で生きられるように何か技術を得ようとした。
でも、結局それも、何をやっても人と関わらなければダメで、人は一人じゃ生きられない、そう再認識させられる結果になっただけ。始めから解かってたのに。


その時に崩れた。何もかもが崩れ去った気がした。
俺は変わらない。何をどうやっても根底の俺自身を変えることが出来ず、そしてそのままの俺では生きることは苦しみしかない。
生きられるように自分を変える事も出来ずに、でも、自分のままでは生きられない。その自分の無力さに、弱さに「ああ、もうダメだな」って思った。
どうしようもないって思った。

俺の弱さ。それがこの結末の原因。
強くなって、戦って、騙し合って、潰し合って、殺し合って、奪い合う。そんな生き方だったらもう生きなくていいって諦めた。
それが俺の弱さ。


だから、今は「もういっか」という気持ちだ。
俺の人生は今日で終わる。
やっと終わる。


疲れた。
もう、楽になりたい。


今まで見てくれた人、拍手ボタン押してくれた人、コメントくれた人、本当に感謝しています。
自分なりの幸せが手に入る様に祈っています。

ありがとう。
そして、さようなら。
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  1. 2013/02/12(火) 14:36:00|
  2. 日記

終わりの始まり

旅行から帰ってきて早数日。

怖くなるかと思っていたけれど、そんな事は無い。
目前に迫ったとしても意外と冷静だ。
考えは何も変わることが無いし、「ああ、やれるな」って思う。

もう考える事も無いし、考えないようにしようと思う。

いつにしようか。
今考えるのはそれだけである。
  1. 2013/02/07(木) 14:29:28|
  2. 日記

旅行中

只今、北海道旅行中でホテルでPCを借りて書き込んでいる。

本当は、帰ってからゆっくりと書こうと思っていたのだけれど、前回の投稿を行った後、突如俺のPCが立ち上がらなくなり、完全に壊れてしまい、出来そうになくなってしまったので、やむを得ずこんな事になってしまった。
困った。

それはともかく、旅行は順調だ。来て良かった。北海道の雄大さにただただ感動するばかりである。
目的は真っ白な世界を見る事だったけれど、その目的は既に果たされた。
美瑛を1日かけて歩き回った(-10℃くらい)のだけれど、本当にすばらしい世界だった。
何も音がしない。自分が雪を踏みしめる「ギュッ、ギュッ」という音しか聞こえない。360°白と青と灰と銀で出来た世界。非日常どころか非現実感さえ感じる世界だった。
そこを歩いていると、自分の考えている事があまりにも小さい滑稽な事に思えた。
俺の命など空から落ちてくる雪の一欠けらにも満たないとるに足らない出来事なのだと感じた。
理とかないんじゃないかな。
ただ生きて、ただ死ぬ。
それだけなんじゃないかな、とふと思った。

旅行はあと数日、北海道の色んなとこ行ってから帰ろうと思っている。
帰ったらネットカフェかどっかで簡単にだけれどまとめよう。
デジカメで撮った写真や動画をアップ出来ないのが非常に残念である。
旭山動物園での動画とか結構面白かったのだけれど。なんで俺はデジカメ撮ってんのかな。
そして、その後の事もまとめて書こうと思う。
(ネットカフェに何回も行くのもお金もったいないし。)

  1. 2013/01/30(水) 18:06:07|
  2. 日記

旅行は来週行こうと思う。準備全部完了。
どうなることやら。


まぁ、行き先の事を調べたり、予定を考えたりする事で、毎日の有り余る時間を使う事が出来ただけでも意味のある事である。
何もしてなかったら、「もういっか」と思って終わらせていた気がする。


昔からそうだったけれど、「死ぬ」という事に対して恐怖は無い。人生が終わる事、自分の存在が消えてしまう事、そういうものは何も怖くない。逆に望んでいた事だから。
怖いのは、死ぬ時の数秒、数十秒もしくは数分の痛みや苦しみ。そして、もし死後の世界があってそこで受けるかもしれない苦しみに対して。

死後は無であって欲しいと願っている。
もし死後に天国と地獄があって、そこで自我を保ったまま過ごさなければならないとしたら、それこそ地獄である。
地獄が地獄なのは当然として、万が一天国に行ったとして、その天国ですら今まで死んだ人間が居て、そいつらと過ごさなければならないとしたら、そこはもう俺にとっては地獄なのである。

もしそうなら、こんな救いの無い事は無い。
頼むから無であって欲しい。
死こそ最後の救済であって欲しいと願う。


が、たぶん違う。
そんな都合の良い摂理では無いと思う。


死後の世界はあるのだろうか?
俺は無いと思っている。
ただ、俺が無いと思っているのは天国や地獄といった漠然とした世界だ。

でも、輪廻転生はあると思っている。
生命体は死ねば何かに生まれ変わると信じている。
実際に前世の記憶を持っている人の事例も世界中であるし、霊なども目撃者が多過ぎるし、不可思議な現象も多い。無いと言い切るには多過ぎる。
そういうのが輪廻に関連していると思っている。

俺は宗教で説かれているものの大部分は人が考えたものだと思っている。
人が人をコントロールするために考えられたものだと思う。
作られた時代は、混沌とした世界だったのだろうと思う。
それを「善く」したいと考えた人が「善」とは何か、「悪」とは何かを決め、「善」である世界を作り出そうとしたのだろうと思っている。
業も死後の地獄も全て、「悪」を忌むべきものとし、人は「善」であるべきで、「善」く生きる為に、「悪」である事を恐怖する様に作られたもの。
それは、理性的で秩序ある世界を作る為に必要だったのだろうと思う。
それを昔の偉人が考え出し、人が生きる上で指針となった。
それこそが宗教なのだと思っている。
人は本来「悪」も「善」も両方備えている。いや、「悪」も「善」も人の中の感情でしかない。元々善悪なんて区分けは無いのだと思う。
けれど、その指針があるおかげで「善」の世の中に保たれているのだと考えている。

でも、その宗教の中に、人が考え出した中に「真理」と言われるものが含まれていると思う。
それが「輪廻」だと俺は思っている。
その人の人生の業によって次の世界が決まるとか高尚であれば解脱するとかは人が考え出したもので行き過ぎだけれど、「輪廻」というもの自体は理としてあるのではないかと思っている。
そして、この現世での人生は少なからず来世になんらかの影響を与えるものではないかと思っている。

だから、結論として、死んでも何かに生まれ変わるんじゃないかと思っている。
その生きた人生によって次に生まれ変わるものが変わる。
精一杯苦しみの中を戦って生きぬいた人は次は自分の望む人生を送れるのかもしれない。
そうでない者はろくでもないものや、苦しむ人生を送る者に生まれ変わるのかもしれない。
それこそが天国と地獄。来世の生こそが与えられる天国と地獄なのかもしれない。
そして、自殺者にはそれすら許されないのかもな。



と、考えている。
長々と怪しげな拙い話を書いてきたが、結局は答えは死んでからでないと分からんって事だ。
もっと細かいことを書き出すとそれこそ長くなり過ぎるのでここらへんでやめておこうと思う。


ただ、願わくば無であって欲しいなぁ。
  1. 2013/01/23(水) 02:19:40|
  2. 日記

記憶

旅行の計画は大体終わっている。
残った時間は、何があっても良い様に、本やサイトで北海道の情報を頭に詰め込めるだけ詰め込んでおこうと思う。


それはともかく、最近は昔を振り返る事が多い。
気付いたら、昔のことを思い出している。

今までは過去を思い出す事なんてあまりなかった。
それなのに、一度も思い出したことも無い出来事をふと思い出す。
その時の場面をその時の感情と一緒に。
人間の脳ってのは凄い。びっくりするくらい色々な事を覚えている。
思い出そうとすれば全ての日を思い出せそうなくらい(言い過ぎ)。

人間は忘れる事で生きていけるって誰かが言っていたけど、まさにその通りだと思う。
嫌な記憶を全部覚えて蓄積していたら、それはもう気が狂うどころでは済まんと思う。
忘れるって事は大事な事なのであると今更ながらに実感している。
俺は程々に嫌な記憶を忘れていた。自己防衛ってやつだ。それを思い出している。うまいこと出来てるものだ。


過去を振り返っても、「あの時こうしていれば」とか「こうだったら」とかは思わない。
俺はその時々で、最善というか最適というか、そうしたい、若しくはそうするしかなかった選択をしてきたと思う。
また、仮に違う選択をしていたとしても、結局は同じ結末に行き着いていただろうと思う。
確率の問題だ。
左と右の道があって、俺は左を選ぶ確率が80%だとしよう。
仮に一つの選択肢を左じゃなくて右を選んでいたとしても、また次にある選択肢で左を選ぶ確率が80%なのである。
自然に俺の道は左へと向かっていく。
いずれ同じ結末へ向かっていくのである。

それに今思い出しても違う選択は無かったと思うし、あったとしてもその違う選択肢を選びたくない。
同じ人生をもう一度やり直したとしても全く同じ結果になるだろう。
そう考えると、結果はどうあれ、俺は自分の人生というか生き方にある程度満足しているのだと思う。後悔とか無いし。自分の思う様に生きてきたのだと思う。
好き勝手に生きてこれたってのはこれ以上に無い幸せな事であると本気で思う。

だから、今は結構清清しい気分だ。
どういったらいいのかわからんけど、終わる事が「自然」に感じている。
俺の寿命が80年あるのを無理やり32年で終わらせるっていうよりも、元々32年しか無かったって感じだ。
そう思うのは宗教とか、人生を苦行と考える人達からみると、勝手な理論なのかもしれないけれど。


死んだ後はどうなるのだろうという事も考えているのだけれど、長過ぎるし、結局答えの出ない事なので、また今度書こうと思う。
  1. 2013/01/15(火) 19:36:50|
  2. 日記
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